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カテゴリー「あれこれと出来事」の検索結果は以下のとおりです。

肝を冷やした

今朝のこと。

 

県立大理学部前バス停でバスを降り、大学に向けて横断歩道を渡ってました。

SPring-8方面に向かう2車線の車道を渡っていると、相生方面に向かう同じく2車線の車道の手前で白のワゴン車が来るのが見えました。

 

停まるのかどうか微妙なスピードでしたが、どうやら停まる気配。

停まったのを見届けて横断歩道を渡りかけたその時、そのクルマの脇をすり抜けて濃いブルーのクルマが突っ込んできました。

 

はねられそうになる手前でかわしましたが、心臓バクバクものでした。

突っ込んできたクルマはそのまま相生方面へ。

 

この横断歩道には信号機が設置されてなく、過去に死亡事故が起きてます。

それ以前には横断歩道を示す標識すらもなかったのですが、その事故の後すぐに標識が設置されました。

 

標識が設置されたのはいいのですが、横断歩道を人が渡っていようが待っている人がいようが、大半のクルマは人がいるのを無視です。

道路交通法38条の横断歩道での歩行者優先と一時停止義務の違反となるのを分かっているのだろうか。

20210414155513.jpg

ということで・・この辺の事情を調査します。

その結果を近いうち、”miscellany/ゆる〜く調査してみた件”でまとめて報告します。

二度あることは三度あるのか?

一昨日と昨日、用事で高知に行ってました。

 

前回と違って行きは順調で、鬼門の阿波池田〜高知の間を南風3号は快走し、高知であしずり3号に乗り換えて今回は何事もなく須崎に到着。

土佐山田を過ぎて後免を経て高知までの間は県下でも有数の米どころで、かなりの数の田んぼで稲刈りが終わってました。

また、田植えが終わって間もない田んぼもちらほら。

今では二期作はやってないはずですから、これは昔の風景を再現するために敢えて時期をずらしているのでしょうか?

 

帰りは雲行きが怪しく、須崎でも時おり大粒の雨。

高知であしずり10号から南風20号に乗り換えました。 

南風20号は2700系という新型車両で、JR四国が力を入れて宣伝している物件。

トイレは洋式で広々しており、荷物置きスペースや車椅子スペースも確保されてます。

その分客車の定員が大きく削られてますが、そのおかげで座席は実に快適。

 

山間部に近づくにつれて空が怪しくなり、秘境駅で名高い新改を過ぎるあたりからポツポツと雨。

最大の鬼門の繁藤は無事に過ぎましたが、大杉あたりから叩き付けるような雨に変わり、南風は徐行運転に入りました。

運転見合わせにならないかとハラハラしましたが、25分遅れで大歩危に到着。

大歩危の手前あたりからは雨も小降りになり、阿波池田も無事に通過・・

 

やれやれと胸を撫で下ろしましたが、南風20号岡山行きは多度津止まりに行き先を変更。

多度津でしおかぜ24号に乗り換えとなりました。

順調にいかないものですね。

まただよ・・

昨日のこと、実家の用事で高知に向かいました。

ちなみに7月4日に高知に向かったときには、途中の阿波池田で足止めされてます。

 

姫路を6時29分発の「みずほ601号」に乗り、岡山で7時8分発の「南風1号」に乗り換え。

今回は児島を出た辺りから記憶がなく、瀬戸大橋を渡って宇多津で「しまんと3号」を併結し、多度津から土讃線に入り、琴平をあとにして山間部に入る前に目覚めました。

 

秘境駅で名高い坪尻のちょっと前あたりで、車内アナウンス。 

高知県地方の大雨の影響で阿波池田で運転取りやめとな。

7月4日と同じパターン・・俺が何をしたってんだよ。

 

但し今回は大事な用事でしたので、どう頑張っても約束の時間に間に合わないのですが、阿波池田で代行バスに乗り換えて高知へ向かいました。

 

1時間20分ばかりで高知に着きましたが、土讃線は完全にストップ。

駅員さんに聞くと、雨の状況から運転再開の見込みは当面無く、高知から先に行くのも戻ることも出来ないとのこと。

 

明日は放射線関連の学内講習会があり、是が非でも帰らなければなりません。

高速バスで岡山に行って新幹線、神戸に向かって舞子で下車か、あるいはJRバスで松山に出て予讃線に乗り換えるか・・

飛行機というチョイスもありますが、空港に行くのが面倒。

あれこれ悩んでいると、さっき乗ってきた代行バスが阿波池田に引き返すとのこと。

 

と言うことで、切符に引き返しの証明を入れてもらってバスに乗車。

こっちだと無料で帰れて、しかも行きの運賃は全額払い戻しです。

 

阿波池田ではバスからの乗り換え待ちの「南風12号」に乗車。

今回はちゃんと岡山まで行ってくれました。

遠い昔の記憶

先日の繁藤付近の大雨の影響で、阿波池田で引き返した件で思い出したことです。

遠い過去のことで、私は小学3年か4年くらいでした。

 

7月4日から5日にかけて、高知県を豪雨が襲いました。

熱帯低気圧がもたらした雨だった記憶があり、私が住んでいた須崎市でも相当量の雨が降りました。

 

そして、大量の雨で繁藤駅近くで小規模な土砂崩れが発生。

埋まった住人がいないか巡回していた消防団員の一人を土砂崩れが襲いました。

行方が分からなくなった消防団員の捜索に地元の消防団を招集したのですが、その救助活動の真っ最中に大規模な斜面崩落が発生。

救助活動中の消防団員のみならず、作業を見守っていた周辺の住民、取材に来た新聞記者、繁藤駅に停車中の列車の乗客など、合わせて60人の命を奪いました。

記憶が正しければ最後の一人が発見されたのは翌年だったと思います。

 

崩落による衝撃は凄まじかったようで、ディーゼル機関車が穴内川の対岸の山の斜面にまで吹き飛ばされていたそうです。

そんな衝撃で人体の方もかなりの損傷を受け、ご遺体は無残な状態だったそうです。

 

こんなことを知っているのは、当時私の家は喫茶店を営んでおりまして、近所の消防署や警察署から常連さんがお店に来てました。

県は威信を懸けて最後の一人まで犠牲者を収容するべく、県下の警察署や消防署から人員を集めて大規模な捜索隊を現場に送り込んでます。

現場の惨状については、任務を終えて帰ってきた人たちから話が伝わってくるのですね。

 

私は高校を出てから県外の大学に入学しましたが、帰省の際には繁藤駅を通る訳でして、その度に崩落現場を目にすることになります。

急行列車ですと繁藤駅に停車するものもあり、駅名標には繁藤(天坪)とあったと記憶してます。

「天坪」は「あまつぼ」で、雨の集まる場所ということになるのでしょうね。

 

現在では、そんな繁藤駅を特急列車がすっ飛ばして行きますが、崩落跡は草木で覆われており、見た目ではそんな大惨事があったなんて分からなくなってます。

駅近くの公園に慰霊のモニュメントが建っているのが車窓から見えます。

引き返し

昨日のこと、実家の用事で高知に向かいました。

姫路を6時29分発の「みずほ601号」に乗り、岡山で7時8分発の「南風1号」に乗り換え。

途中の宇多津で「しまんと3号」を併結して5両編成となり、琴平を過ぎて四国山脈へと分け入り、秘境駅で名高い坪尻をすっ飛ばし、吉野川の谷底平野に下って一路阿波池田へ・・

 

ここまでは順調だったのですが阿波池田に着く直前のこと、繁藤付近の大雨の影響で阿波池田と高知の間で運転見合わせ、しかもかなりの長時間が見込まれるとのアナウンス。

 

足止めされた阿波池田では撮り鉄の人たちが、お気楽にも列車の前から後ろからカメラをバシャバシャしてました。

ブログかインスタなんかに写真をUPして、ただいま足止め中だなんてネタにするんだろうね。

 

高知行き代替バスの手配もしているようでしたが、高知に着いても接続がどうなるか不透明で、この時点で約束の時間に間に合わないことが分かってました。 

改札口で駅員さんに引き返す旨を伝えたら、5両編成を分割して「しまんと号」の2両を「南風6号」にすることを教わりました。

ということで、駅前の公衆電話から家に電話して、予定を全部キャンセルするように頼みました。

 

ホームに戻ってみると、撮り鉄の人たちがカメラを持って分割作業の現場に群がってました・・ホンマ、お気楽だねぇ。

そうこうしているうちに運転準備が整い、運転再開の目処が立たない「南風1号」から岡山行き「南風6号」に移動。

 

ところがこの「南風6号」は岡山行きから多度津行きに変更されまして、多度津で快速に乗り換え、宇多津で「うずしお6号」に乗り換えて岡山に辿り着きました。

岡山では接続が悪くて40分ほど待たされ、1時過ぎにようやく姫路に戻れました。

 

今回は発駅に引き返してますので運賃は全額払い戻し、また、行きに座席指定を取っていたので帰りも同等の車両に乗れます。

まぁ、無料で小旅行ができたものということにしておきましょう。

 

それともう一つ、自宅に戻ってそうこうしていると、ドクターイエローが通過。

普段ならこの時間は大学にいますので、これも良かったことの一つ。

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